仁上幸治「大学図書館広報を考えなおす」 現代の図書館 vol.21 no.4 223-224 1984
大学図書館の「広報活動」は全般に低調である。そして、少しずつでも着実に発展しつつあるようにも見えない。むしろ、放っておけばいつ動き出すやら知れない停滞と言ったほうがよいだろう。多くの大学図書館員にとって、この停滞そのものが暗黙の了解事項となっているのかもしれないが、まずはじめに、それが一体なぜなのかという原理的な問題に対して、情報流通という切り口から単純明解な解答を与えておきたい。
図書館をめぐる情報流通過程を「外」から眺めてみると、問題がはっきりする。単純化のために二つの対照的なモデルを設定しよう。
第一は<発展的循環モデル>である(図1)。これは公共図書館の理想化によって得られる。<図書館>が設置されて最初の仕事は需要の開拓だ(1)。市民は<利用者>になる(2)。<利用者>はすぐ様々なサービスを要求し始める(3)。<図書館>側は勿論これに対して速応サービスに全力を挙げる(4)。ひとつの回路が成立し、信頼関係が生まれる。
<図書館>が市民生活の中に定着してくると(5)、<利用者>の要求も多様化・高度化するが、<図書館>で満足されない分は<市当局>の方へ文教予算要求や業務効率化要求として向けられる(6)。これを受けた<市当局>は<図書館>に援助を与え(10)、福祉PRを展開できる(7)。これがさらに自治意識・権利意識を育てる(8・9)。
一方、<市当局>から<図書館>への「合理化」要求に対しては、<図書館>は省力化で凌ぎながら、味方作り政策(11)の成果である<利用者>の声を背景に予算・人員・地位向上の要求を投げかえす(13)。<市当局>がこれに応じれば市民にも労組にも人気が上がって悪かろうはずがない(15)。
以上、この情報流通過程の全体を眺めれば、どの部分の回路においても、情報が流通すればするほど、三者いずれにとっても有利であることがわかる。したがって、このモデルは自動的に発展していく内的必然性を持つ理想型と考えることができる。<発展的循環モデル>と命名したゆえんである。
第二は<停滞的閉鎖モデル>である(図2)。図書館は大学の心臓ではなく盲腸にすぎないために、<当局>は<図書館>に対して「管理第一」ということの他に特に要求もしない(1)。<図書館>は一事務所であって図書館員も普通の俸給生活者である(2)。<利用者>のうち、教員は<図書館>より研究室の充実を望み、学生は試験期にしか勉強しないので、<図書館>にはさほど関心がない。
<図書館側>も、あえて仕事を増やすこともないので「お知らせ」程度の「広報活動」でお茶を濁していれば済む(4)。
全体を眺め直してみると、次の点がはっきりする、第一に、情報を流通させようという動機がどこにも存在しない。第二に、かろうじて行われている「広報活動」は一方的で、対話・討議を拒絶している。第三に、回路が存在せず、循環がなく、情報の増幅が起こりえない。
以上まとめると、情報の流通が少なければ少ないほど、三者いずれにとっても楽であることがわかる。したがって<図書館>は内外に対して閉鎖性を守ろうとし、活性化への刺激を失ってさらに停滞の底に沈んでいく。これが<停滞的閉鎖モデル>の救いのない姿である。